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昔の写真 : 中東・アフリカへのドサ廻り [海外の旅&回想]

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モロッコから数百キロ沖、大西洋上のカナリア島(スペイン領)のラスパルマス。ここが旅路の終点でした。197X年3月

*アルバムからの写真やネガをスキャン、見難さはどうぞご容赦を。

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新型コロナ禍下でも時間は在るはずなんですがやはり内向きがちになり、本来のあるべき自由な時間が無為に失なわれていくのは否定しがたいように思えます。こんななかで古いものを整理し片付ける機会も増え、目に触れる度に昔のことが甦ってきます。残された人生の時間は多くはないし、いずれ記憶は風化する(ボケる)ことを思うと、書き記しておくには丁度いい機会なのかなと思って昨年暮れから書きはじめました。
ブログは身辺の出来事や思ったことを書き込む場で、本来は自分自身のためだと思って私は書いています。特に『昔の写真』の内容は自分の生々しい足跡ですので非公開記事としていましたが、伝えておきたい人もあります。郷里の家族、縁戚や私と関わりを持った方へも。ということで今回、詳細や固有名詞を外して加筆しアップしました。すごく気恥ずかしく僭越なところもありますが、 ありのまま を書いたつもりです。傍目からみれば他人事で些細なことですし、受取り方が様々だろうと察しますがどうぞ文意をご理解して戴ければ幸いです。また、「昔の写真」の時代を生きたひとりのつぶやき程度として「ご笑読」して戴ければ嬉しいです。
ニッチな分野の内容でちょっと長々とした記事になってしまいました(スイマセン)興味・関心のない方はどうぞスキップして戴きたくお願いいたします
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前記事で述べたように最初の海外出張は中東・アフリカでした。とくに中東は急成長の途上で有望市場、前任の先輩が欧州に赴任するということで新卒の私に担当がまわってきました。 途上国市場には臆し気味で後向きの諸先輩達を傍らに見て、チャンス到来とばかり自ら志願。 翌年の1月~3月、約2ヶ月の中東・アフリカ諸国への「ドサ廻り」旅にでました。 もちろん「単独行」です。[わーい(嬉しい顔)]

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*バーレン

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最初の訪問地テヘランから「湾岸諸国」へ向かいました。  湾岸諸国一帯は膨大な石油資源が埋蔵され、オイルマネーで潤っていました。 まわりは砂漠だらけですが、蜃気楼のように街があります。 地理的にはアジア、アフリカ、インド洋、地中海をつなぐ中継貿易の拠点でもあり大きな購買力がありました。 クウェートに入り、マナマ(バーレン)、ドハ(カタール)、ドバイ(アラブ首長国連邦)、マスカット(オーマン)と巡回し、順調に各国の代理店との商談を終えました。

その中では最大の拠点がドバイで、物流とインフラが進んでいたこともあり年々ドバイに集約していきました。 ドバイはよく訪れましたので別の機会に取り上げるつもりです。

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*サウジアラビア、ジェッダ

サウジアラビアは地場需要とイスラム各国からのメッカへの巡礼客需要があり他の湾岸諸国とは性格を異にしていました。 代理店のあるリヤドで商談したあと、巡礼客が通過するジェッダへ移動し取引先の方と市場を巡回しました。 巡礼シーズンではありませんでしたが、各国からの巡礼客でにぎわっていました。

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*ベイルート、地中海沿いのホテル St. George

湾岸諸国6カ国すべての巡回を終え、サウジアラビアのジェッダからレバノンの首都ベイルートへ向かいました。 当時「中東のパリ」とも云われ、地中海に面したオアシスでした。 ベイルートは地場市場だけでなく、近隣のヨルダン、シリア、イラク、トルコや北アフリカへの中継貿易拠点でもありました。 レバノン商人は概して悪名高いので要注意です 。 取引先は手ごわい相手ですが幸いにもまともでした。 40℃を越す灼熱[ふらふら]の湾岸地域とは異なり気候もマイルドで、近郊にはリゾートや遺跡もあり。 ここで中休み[わーい(嬉しい顔)]も含め1週間ほど滞在しました。 湾岸地域では目標+の成果を確保出来て一段落ですが、金欠=お金がなくなりました。[がく~(落胆した顔)][もうやだ~(悲しい顔)][ふらふら] 当時は外貨の持ち出し上限があり、送金してもらったベイルートの銀行で外貨US$を受け取りました。[わーい(嬉しい顔)] 今はデビットカードで簡単に現地通貨を引き出せますが、この頃まだクレジットカードすら普及しておらず、 Banker's Check が海外旅行では主流でした。

このあとベイルートをもう一度訪問しましたがそれが最後の訪問となりました。 レバノン内戦が勃発[爆弾][爆弾][爆弾]し渡航禁止国に指定、経済も疲弊し事実上崩壊したのです。

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*ベイルート上空、崩壊前の市街地

ベイルートからエジプト・カイロへ、アフリカ大陸に移動。アジスアベバ(エチオピア)、ナイロビ・モンバサ(ケニア)、さらにヨハネスブルク(南アフリカ)まで南下。途上国は治安が良くなく特にエチオピアやケニアはワースト、細心の注意が必要でした。 この地域に共通する底辺はやはり貧困です。 空港からのすべての移動も現地取引先の方に同行をお願いするしかありません。 南アは当時アパルトヘイト(人種差別)下でしたが、日本人は白人ゾーンのレーンで入国手続き出来手続きも簡略で幸いでした。 ヨハネスブルクの中心街は近代的なビル街や商店街、ホテルがありますが、一歩中心から外れるとスラム街で陽と陰のコントラストが極端でした。

概してアフリカ諸国は購買力も低く輸入制限や高関税で輸入品は高くなり、一般消費財は非正規流通で持ち込まれて日本からの直輸入は限定的でした。 直近の取引以上に将来の市場動向・トレンドを見極めることがアフリカでの主たるミッションでした。 日本からは遠くなかなか出かけ難いところです。若い時しか行けませんので、いい機会でした。

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*リビア、ベンガジ郊外の遺跡

機上からサハラ砂漠を眼下に眺め北上しローマ経由で、北アフリカのリビアの首都トリポリへ。 更に第二の都市ベンガジを訪問。砂漠がほとんどで、こんなところに需要はあるのかなと最初思いましたが、リビアからチュニジア、アルジェリア、北アフリカ地域に運ばれていくとのことでした。 ここでも期待以上の成果がありました。

最後はスペイン領カナリア諸島のラスパルマスへ。大西洋上の楽園ですが・・仕事です。 カナリア諸島はスペイン領のデューティーフリーの島、ラスパルマスが最大の都市でいろんな製品が格安に買え、スペイン本土や欧州からの観光客需要が見込め購買力の高い市場でした。 現地の商人はインド人が大半、商売意欲が旺盛で買い付けにも貪欲です。 カナリア島で最後のビジネス、ようやくミッションは終了です。 当時ラスパルマスは日本漁船の水揚げ地でもあり、日本食レストランでとても新鮮な刺身魚介類が味わえました。 3週間ぶりの日本食は格別で日本酒は体の芯まで沁み入りました。(笑)  アムステルダム経由で日本への途につき、無事最初の海外出張は終わりました。[カチンコ]

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*マスカット市街、オーマン

80年代以降は多くの会社がアジア、アメリカ、ヨーロッパに販売拠点を設置してそこから各国へ販売する体制が多くなりましたが、中東・中南米といった途上国向けは各社とも現地代理店への直接輸出販売が大半でした。 各国の取引先を巡回して、先々の注文をまとめてその場で決めるという「古典的な商売」も先輩から引き継ぎました。 お客様(代理店のオーナー)とひざ詰めで交渉するという生々しい商談です。うまくいった時もあるし、失敗もあり。 海外出張といっても「視察」や「表敬訪問」といったお気楽でカッコいい「海外詣で」ではなく、具体的な成果(=受注金額)をもって帰ることが最大のミッションでした。 当時はEメールもなくファックスも普及しておらず、商談を終えるとホテルのテレックス室で受注内容を自分でテープにパンチして送信するといった日々もありました。

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*ヨルダン、アンマン
   
途上国では衛生レベルも低く、疫病もあり。天然痘、黄熱病、コレラ・チフス等々といった感染症対策としてのワクチン接種をして国際証明書(イエローカード)を取得しておく必要がありました。 天然痘や黄熱病ワクチンは生涯にわたって免疫が持続するので1回接種しておけばいいのですが、接種間隔もあるので渡航1ヶ月まえからワクチンを開始。 副反応はあったかもしれませんが、ひと月に4回は多過ぎ。 それを思い起こせば新型コロナワクチン接種はガマンできます。
概して中東やアフリカはインフラも劣悪[がく~(落胆した顔)][もうやだ~(悲しい顔)][ふらふら]な地域が多かったです。 食べ物にも制約あるし、アラブ諸国はお酒は飲めません。 水質も悪く飲めない、ホテルの水も硬水のところがありシャンプーしても直ぐ流さないと石鹸が固まって髪が固まる・・・[がく~(落胆した顔)]  ホテルによっては窓付けエアコンで騒々しく、エアコンが不調ならサウナ地獄[ちっ(怒った顔)]です。
   
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*カイロ、ギザのピラミッド
   
とにかく基本的なインフラは劣り、治安が悪いので移動中は気が休まりませんでした。 人に云えないような、書けないほど嫌なことは両手で数えきれませんでした。[もうやだ~(悲しい顔)][ちっ(怒った顔)][ふらふら]  出来るものなら避けたいです、でも人が行きたくない、困難なところにチャンスはありと思って出かけました。 云い憚りますが、自分でもよく頑張ったと回顧します。
以後3年間ほど中東及びその近辺には年3回ほど出かけましたが、この地域での「ドサ廻り」は得難い経験で、後々の仕事にも役立ち励みとなりました。
これからの世代の皆さん、場所やフィールド、志すものは変わるでしょうが、いろんなことや機会にチャレンジされてみてはどうでしょうか。 逆境にこそチャンスはあり、チャンスは自分でつかむしかない。
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「昔の写真」の時代を生きたひとりのつぶやき程度として「ご笑読」して戴ければと存じます。ニッチな分野の内容でもありますし、興味・関心のない方はどうぞスルーして戴ければ幸いです。またネガティブな受取りをされる方のコメントは、今回御遠慮お願いいたします。

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コメント 25

八犬伝

凄いですね
新卒の年に2ヶ月の中東アフリカ出張ですか。
そうですね
昔は、テレックスでしたね
海外との通信は。
隔世の感がありますね。

by 八犬伝 (2022-01-25 20:57) 

achami

全く違うフィールドで生きていらしたんだなぁ〜と。
私はメッチャ甘いトコロです(^^;;
でも、女性進出がまだまだの頃でしたので、少しは貢献できたかな???とか
自分で自分を褒めたりしたこともありました。今は女子の方が逞しいです(笑)
by achami (2022-01-25 21:43) 

kuwachan

新卒で中東アフリカの単独行の出張を自ら志願して行かれたのは希望に燃えていたからでしょうか^^凄い経験でしたね。テレックス懐かしいです。私が今の勤め先に入った時にはテレックスの講習に行かされましたが、その後数年でファックスとなり、Windows 95の登場とともにe-mailとなっていきましたが、e-mailも最初は1週間に1回程度のチェックで間に合っていたのは今や笑い話です。
by kuwachan (2022-01-25 21:51) 

nousagi

行きにくいところ、でも面白いところに行かれてますね。
若くて、希望に燃えて、ヤル気満々の頃ですね。(^^)

by nousagi (2022-01-25 22:07) 

OJJ

若きJetさんのお話、興味深く拝読しました。こんな話大好きです!私の中では今でも中東・アフリカはエジプトとサウジが国で他は単なる地名程度の認識で、さっぱり分かっていません。一時期海水淡水化関係の仕事を担当していたのでいくつかの地名には響くものが有ります。続編期待でっせ~
by OJJ (2022-01-26 12:13) 

ma2ma2

海外の出張はシンガポールに3ヶ月行っただけです。
中東に出張とは凄いですね。
by ma2ma2 (2022-01-26 16:47) 

tochimochi

得難い経験をされてこられたのですね。メールはおろかファックスもままならない環境では情報伝達に苦労なされたことは察せされます。
>困難なところにチャンスはあり
24時間戦えますかの時代よりもずっと前でしたね。今の人生に役立っていることも大なりですね。どういうもの又は製品を扱って来られたのか、気になります。
by tochimochi (2022-01-26 20:05) 

Jetstream

achami さん、今の若い世代の方は「海外志向」がないようですが、
私なんか大人になったら世界を飛び回りたいと思っていました。(笑)
女性の方もいろんなことにチャレンジし進出するのは大賛成。
頑張ってください。!(^^)! 必ず成就出来ます。
by Jetstream (2022-01-26 22:38) 

Jetstream

八犬伝 さん、怖いもの知らずの若い時だから出来たのかも。
テレックスご存じでしたかか。!(^^)!
今は写真を添付してメール送信すれば「いい」時代ですね。
by Jetstream (2022-01-26 22:38) 

Jetstream

kuwachan さん、誰も望まないことなんでチャンスはあり自分次第でした。
チャレンジしていろんな世界に触れて経験する価値を皆様にお伝え出来れば嬉しいです。
テレックス(笑)、ほんと過去の遺物ですね。
パンチしたテープがよじれちゃったりして作り直しなんてことありました。(泣)(笑)
by Jetstream (2022-01-26 22:42) 

Jetstream

nousagi さん、希望とチャレンジ精神は旺盛でした。!(^^)!
単独行だし、自分で考えて、リスクは避ける・・山登りと同じです。(笑) 
今はヤル気、減退です。;; また頑張ります。(^O^)/
by Jetstream (2022-01-26 22:43) 

Jetstream

OJJ さん、拝読して戴きありがとうございます。浄水化のエンジニアでいらっしゃったと覚えていますが、羨ましいです。もともとは理工科系でエンジニアか建築士になれたらという夢を抱いていました。高校の時に化学系がダメで変節しました。;;(笑) プラント輸出もおもしろそうですね。
by Jetstream (2022-01-26 22:45) 

Jetstream

ma2ma2 さん、全然スゴくないです。中東の担当になって先輩や同僚から「貧乏くじ」を引いたと思われたでしょうね。シンガポールは経由も含め何度も訪問しました。暑いけど先進国で安心ですね。
by Jetstream (2022-01-26 22:47) 

Jetstream

tochimochi さん、他人が志願しないんで、チャンスあり。(笑) 貧乏くじが当たりくじになると願って、とにかく若いうちに何でもやってみようと思いました。
「先憂後楽」であとは遊ぼうと思いましたが思うようにはならず。(笑);;
そのようなご質問はあると察していました。(笑) 続編でご推察を。!(^^)!
by Jetstream (2022-01-26 22:50) 

koh925

随分、多くの国へ行かれましたね
今は、危険な国や地域が増えたので、困りますね

by koh925 (2022-01-27 11:05) 

伊閣蝶

大変貴重なご経験の記録、これはこのまましまっておかれるのは本当に残念で、こうして拝見できるのは望外の発見があって大変興味深いところです。
当時の発展途上国の衛生環境に関して、膨大なワクチン接種が必要だったことは、知人からも聞いておりました。
社命とはいえ大変なことであったと拝察します。
by 伊閣蝶 (2022-01-27 12:07) 

Jetstream

koh925 さん、仕事も山登りもちょうど一段落と思ったらコロナ
+海外も危険地域もあり、治安が悪化している国も多くなってます。
「内憂外患」の時代、ほんと困りますね。
by Jetstream (2022-01-27 12:09) 

Jetstream

伊閣蝶 さん、お目通し戴き恐縮です。私のドサ廻りは多分今の若い世代の方には昔話でしょうね。現在は閉塞した環境で機会がないと諦める方も多いかもしれませんが、なにかヒントを得られ感じて戴ければと思います。今はインターネットで海外とも画面でやり取りできる便利な時代ですが、ある意味では訪問機会もすくなくなり寂しい面がありますね。
by Jetstream (2022-01-27 12:41) 

ファルコ84

中東、大変だったようですね
しかし、当人しか分からず、貴重な体験ですね
普通の人には、なかなか体験できない、素晴らしい。
by ファルコ84 (2022-01-27 15:50) 

Jetstream

ファルコ84 さん、中東はその後何度も行きましたが、アフリカはとても得難い機会でした。別の世界を見ると視野も価値観も広がるように思えます。数十年経ったわけですが、アフリカは未だ遠い国です。
by Jetstream (2022-01-28 23:05) 

momotaro

コロナ禍も若かりし頃を振り返る良い機会になりますね。興味深く拝読しています。長いので、また来ます!
“Jetstream”お名前にぴったりの内容です!
by momotaro (2022-01-29 06:54) 

Jetstream

momotaro さん、お恥ずかしいところもありますが、読んで戴いて恐縮です。書けない失敗談や情けない思いもいっぱいあります。(泣)(笑)
辛かった時を思い出すと、逆に励みになりもう一度頑張ってみようと思います。!(^^)!
by Jetstream (2022-01-29 12:10) 

momotaro

いや〜お疲れ様でしたね
若さの勢いでしょうか、頑張りましたね!
この若き日のお話は、生きた日本の経済史であり、当地の歴史書でもありますね!
by momotaro (2022-02-01 20:15) 

暁烏 英(あけがらす ひで)

若いころがよみがえってきました。
わたしはのんきな団体添乗員でしたが、この記事を読んで共感できるところがたくさんあります。この時代Jetstream さんのような商社マンは、たくさんおりましたよね。マンパワーがすごかった。
カナダで出会った青年(20代前半)は、一人で凍てつく北洋漁業の最前線で漁船の確保や魚の買い付けに東奔西走。
インドネシアでは、大学出たての青年がジャングルの中で多くの現地人を指揮し森林の伐採(木材買い付け)を行い、日本への輸送までたった一人でやっていました。その友人は、いまデング熱とマラリアの熱に時々襲われています。
通信手段が未発達の時代ですから、何から何まで一人で問題解決をしなければ先に進めない時代でしたね。
私も旅の途中で、現地航空会社のストライキで足止めを食ったり(シンガポール)、客が行方不明(香港)とか、ハワイとイタリアでは暴漢に襲われたりといろいろありました。モノいう客と同行しているだけに逃げるわけにはゆきません。上司や仲間がそこに居ないので、機転を働かせ自分で問題解決するしかない時代でしたね。わたしは仲間うちから「職人ヤクザ」と呼ばれていました。でもこうした体験が、のちの独立自営にとても役立ちました。
今後の記事を楽しみにしています。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2022-02-06 23:25) 

Jetstream

momotaro さん、御覧いただきありがとうございます。あの頃は私も頑張った?と思いますが、もう少し上の戦中生まれの方々も出かけていました。高度成長期の勢いかもしれませんね。

暁烏 英 さん、以前記事で昔のご活躍ぶりを拝読させて戴きました。今と違って途上国の旅行自体が大変でしたね。今は現地法人や現地のスタッフを活用してビジネスを運営すればいいですが、当時は日本人が自ら率先して道を開いていくしかない状況でもありましたね。でもそんな経験は後年役に立ったと感じています。
by Jetstream (2022-02-08 17:51)