2004年3月、ポーランド・ワルシャワ
今回も昔の写真ですが、デジカメです。デジタル画像はスッキリだし、画像のファイルには撮影年月日時まで記憶されているのはいいですね。でも80万画素のデジカメから切り出したので粗いです。
ワルシャワにはいろいろ見どころがあるようなので、ホテルのコンシェルジュに聞いてみました。ワルシャワ観光で外せない見所は旧市街の歴史地区とのことでした。
出張中の日曜日、ワルシャワ市内をまず中央駅から歩いてみました。
ワルシャワ中央駅の北東にある「文化科学宮殿」、外から眺めただけですが、30階ほどの壮大な建物で上部には時計台もあります。実際に近くで見るとデカくて威圧感あります。このような石材で建てられた巨大建築物はモスクワに多く見られます。これも旧ソビエト・スターリンが残した「ワルシャワの墓石」ともポーランドの人々から揶揄されているようです。現在は下層階に店や映画館が入った複合施設となっています。
中央駅からちょっと長いけど歩いてみました。約40分ほどで王宮前広場へ。
「ワルシャワ王宮」前の広場が旧市街への入り口。王宮は第二次世界大戦時にドイツ軍によって破壊されましたが、廃墟に残った残骸の破片を使って再建されたようです。
旧市街はユネスコの世界文化遺産となっています。街自体は第二次大戦で跡形もなく焼失した旧市街の街並みを再建して蘇らせたという価値が評価されたというものです。
旧市街歴史地区は次回Ⅱ続編に続きます。
ご存知とは思いますが、ポーランドは第二次大戦でナチスドイツの侵攻、終戦時にはソビエトからの侵攻で戦後はソ連の衛星国として社会主義国家となり不幸な時代が続きました。80年代の「連帯」で民主化が進みロシアの影響下から離脱し、NATO・EUに加盟し今日に至っています。東欧諸国もウクライナもロシアやベラルーシのような専制主義国家には戻りたくないのは当然でしょう。
余談ですが、北京オリンピック 女子フィギュアスケートシングルは皮肉な結果となりました。神の手が及んだのか、神のいたずらなのかとさえ思えました。ロシアという国家の在り方とスポーツ界の闇の部分がある限り、こういったことは繰り返されるんでしょう。