- 海外の旅&回想
最初に南米に出張した時の写真です。メキシコ、パナマ、ベネズエラと各国を訪問し、リオデジャネイロで乗り継いでサンパウロへ。旅程の半ばです。
サンパウロの市街地の中心地、ホテルはこの近くだったような記憶。
リベルダーデという日系タウンも近くにあり、便利な場所でした。ホテルから歩いていける範囲だったと思います。街の入り口には赤い鳥居があり、その先の通りは提灯がぶら下げられたアーケード。ちょっと古い日本の街という感じでしたが、食料品店、本屋、旅館、飲み屋・クラブ、日本食レストランと日本のものはほとんどありました。100年以上前から日本からの移民がはじまり、197X年当時で約200万人の日本人がブラジルに滞在していたと聞きます。
私の従姉が1960年代にブラジルへ移民したと聞きました。従姉といっても幼少時に一度くらいしかあったことがありませんし、日本に残った伯母も故人となり従姉のその後も不詳。200X年に再びブラジルに出張した折、取引先の日系移民の方が私と同じ県の出身でリベラダーデにある県人会館に連れて行ってもらいました。姓はわかるけど名前がわからず、同じ姓の方がビックリするほど多く検索できませんでした。
海外への活路を求めて地球の裏側、ブラジルへ移民した皆さんの中には成功された方も多いでしょうし、苦労された方も数知れないし、挫折して帰国した方も多いと聞きました。帰国しても戻るところがない方は新天地で頑張り通すしかなかったでしょう。消息が不明な方も少なくなかったようです。希望に燃えてた移民した日本人の苦難の歴史が刻まれています。
サンパウロの街、もう一つの写真から現地の方に連れてもらったことがわかりましたが、どこかわかりません。記憶が吹っ飛んでいます。近辺をGoogle Earth で調べてみましたが特徴のある円筒形の建物なのですぐわかりました。リパブリカ広場近くの高層ビル?タワー?から撮った写真のようです。
Google Earth ストリートビューで、更にリベルダーデから辿ってみました。リベラダーデは昔の面影を留めていますが、まわりの風景は高層ビル、モダンな通り。とくに最近15年ほどで街の再開発が進んでいるようです。2枚目の写真はサンパウロ市立劇場付近とわかりました。私が最初にサンパウロへ訪れた頃とは風景が一変しています。昔は車も現地生産のフォルクスワーゲン・ビートルがいっぱい走っていて、タクシーの大半もビートルだったと思います。サトウキビから採れたアルコール燃料がガソリン替わりでした。
*ラモス・デ・アゼベド広場という名前のようです、Google Earth でしらべました。
Google Earth で同じ場所と思われるところをスクリーンショット、まわりの風景は幾分変わっています。
昔の写真、上から2枚目と思われる場所もGoogle Earth で見ると、道路が広場になっていました。
特に途上国と云われる国々は変化が早いですが、私の記憶は風化(=忘却)していきギャップが広がるばかり。;; 昔の写真を眺めながら整理していますが、どこだったのかなという写真が多いです。でも一緒に写っている取引先の方を見ると、なぜか仕事のことが甦ってきます。そりゃそうですね、観光ではなく仕事で出かけている訳ですから。(笑)
サンパウロでの仕事を終えて、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、サンチャゴ(チリ)へと旅は続きました。