名栗・金毘羅山の山行、半端でした。
- 山歩き
この日は行楽日和#58942;#58942;。満を持して少し早起きして出かけましたが、浅間尾根登山道入り口(駐車場)約100M手前から工事中で通行禁止(3月末まで)。峰谷林道は谷沿いで狭く路肩に駐車できるほどのスペースはほどんどないし、他車の通行にも支障が出るかもしれないのでギブアップ。結局バス停まで下っても駐車出来るところはないので奥多摩湖湖畔まで戻る。(通行止めの期間中はバスで出かけたほうが賢明です)。
ダム湖岸でひと休みしたが車窓から入る温かい日差しに#59137;寝入ってしまった。目が覚めたら9時過ぎである。こんな日はあきらめてのんびりと散策し、温泉に浸ろうと決めた。中途半端になってしまったが奥多摩湖から名栗へむかい、名栗湖に沿った北麓を金毘羅山まで歩いてみることにした。
登山道の入り口はさわらびの湯バス停北にあり、お墓の間を抜けていったところ。
杉林の間を登っていく。蕨山まで続くコースであるが整備されて歩きやすい。低山だが、久しぶりの山歩きで気分が爽快です。
「見晴し」という標識にさしかかるが見晴らしはなく、その先の樹間からは有間湖をはさんで南の棒の峰が見えます。
金毘羅神社奥社跡がありますが展望は杉林に囲まれた青い空のみ。まだお昼前なので、もう少し先まで行ってみることにしました。
金毘羅山からは緩斜面のフラットな道が続きます。
標高717Mの中登坂の三差路まできました。ここから有間川沿いへ下れますが、そこから有間湖岸の車道を長々と歩くのは閉口。結局登ってきた道を折り返すことにしました。
奥武蔵側の展望が開けたところで休憩。
遠くに大持山、武甲山や武川岳らしき峰々が見えます。
正面は伊豆ヶ岳からの縦走路が続きますが、小さな社らしきものが見えます。
ズーム最望遠側で撮ってみると、子の権現でした。金毘羅山山頂に寄ってから見晴らしへ向かいます。
南側へ入る細い道跡をたどってみると有間湖や有間山(右が中登坂、右端が金毘羅山)が望めるところにでました。ここで行き止まりですが、地図をみると等高線のなだらかな尾根がダム北まで続いています。道はありませんが尾根を下ります。ところどころ赤テープがあるんでバリルートのようです。地図上では等高線がなだらかに見えますが結構急斜面の下りなんでジグザグにおりていきます。最後に林道石垣の端上で立往生することを懸念しましたが、崖もなく道にでることが出来ました。
荷物を車に置いて、さわらびの湯へ。のんびりとお湯#59127;に浸かってきました。
さわらびの湯は久しぶりです。2011年3月11日東日本大震災から約8年経ちましたが皆さんもあの日の自分の記憶は残っていると察します。
私はあの日棒の峰から下山した後、14時46分ここ#59127;↑にいました。ちょうど湯からでた途端それまでに経験したことのない強烈な揺れに襲われました。これだけ激しいから震源は近くだろうと思いましたが施設の方から『東北のようです』と聞き、これは超巨大地震、大変なことになったと察知しました。急いで帰宅の途につきましたが、上空は大きな揺れでスギ花粉が流出し黄色くなっていました、それまで見たことのない不気味な光景でした。
名栗へ来るたびに鮮明に記憶が甦りトラウマとなっていることは否めませんが、山歩きにはいい場所なんで何度も足が向いてしまいます。同時に記憶を風化させない警鐘ともなっています。Never Happen Again! 8年経ちましたが改めて亡くなられた方々へのご冥福をお祈りいたします。
ひとこと:3・11を迎えるたびに当時のことが思い起こされますが、最近マスメディアでも次に予想される巨大地震「南海トラフ地震」をタブー視することなく取り上げるようになりました。以前私のブログ*でも取り上げましたが、政府も「南海トラフ地震」の可能性を数字で示唆し注意喚起を促しています。「想定外」というフレーズを外すということなんでしょうね。さらに深読みすると否が応でも一定のシナリオが浮かんできますが、最低限の備えは怠らず 淡々と日々を過ごすようにしたいですね。
参考情報まで ↓ 「半割れ」なることばが気になります。
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