インド門 Gateway of India ムンバイ(旧ボンベイ) 199X年
20世紀初頭、植民地時代にイギリスの権勢を示すために建てられたと云われる世界歴史遺産、象徴的な建造物。ムンバイでは最も人気のある観光スポットでした。
「インド門」を撮った古い写真、周囲が汚れていたのでカットしトリミング修正。時期は推定出来ますが、どこから撮ったんだろう? 記憶にありません。右端に見えるのは「タージマハルパレス」ホテル。タージマハルパレスは20世紀初頭に開業した由緒あるホテルで、ムンバイでは世界の要人が宿泊する最高ランクの超高級ホテル。(*_*) 到底私が泊まれるホテルではありません。写真のアングルからすると隣の別館「タジマハルパレスタワー」から撮ったんでしょう。それでも高級ホテルの部類です。当時は外国人向けはドル建てレートでしたが、現地のコネで予約できるルピー建てレートがあったようです。多分取引先の方がルピー建ての安いレートで手配してくれたのでしょう。
GoogleEarthで現在のインド門へ、スクリーンショット。左がインド門、中央がタージマハルパレスホテル、右奥がタージマハルタワー*で私が泊まったホテルであることが確認できました。(笑) ムンバイはインド首都デリーと並ぶ大都市ですが、以前はボンベイと呼ばれていました。イギリス植民地時代に命名された名前ということで現地語名称ムンバイに変更されたようです。同様に、東岸の大都市マドラスもチェンナイに変更されましたが、なぜかボンベイやマドラスという名前の方が馴染みがあります。
インドは多分10回くらいは出かけたと思います。デリー、ムンバイ、チェンナイといった主要都市だけでなく、ジャイプールやバンガロールといった地方都市も訪れました。再びドサ廻り。それでも、日本での営業管理・生産調整や会議・打合せ、数字ばかり見ているよりは、たまに外回りしたほうが気分的にマシでした。
インドは私にとっては新しい世界で、インドという国と人を知る機会となりました。インドの方って面白いというか不思議。例えば、首を横に振るのはNOでなくYESなんです。(笑) 最初にインド人の方と商談した時に、ニコニコしながら首を横に振る。納得してもらえず皮肉交じりに笑っているのかなと思いましたが、肯定の表現でした。またインドの方は頭もいい。商談時に価格は日本円で提示するのですが、1USドルは何円か確認して、瞬時にUS$で下2桁まで暗算。電卓を手に取る時間どころでなく瞬時にドル価格を出して私に教えてくれます。(笑) インド式暗算ですね。 プログラマーや ITエンジニアにインド人が多いのは頷けます。貧富の差が大きく、ほとんどが貧困層で、這い上がるためには海外へ活路を求めたインド人も多いです。世界の三大商人と云えば、華僑、ユダヤ人、そして印僑(インド人)です。私が関わったお得意様の約8割以上はこのいずれかでした、いずれもクレバーで手ごわい相手です。「日僑」は少ないですね、海外にもまだ活躍の場はあると思いますが・・
ラジャスタン州ジャイプール北の丘陵にある世界遺産アンベール城の前で撮った写真。
GoogleEarthのストリートビューで見てみました。少しアングルが違いますが同じ場所、私の古い写真に比べると綺麗ですね。ついでに城の中もストリートビュー出来るので覗いてみました。
世界一美しい門と云われるガネーシャ門やジャイマンディルと呼ばれる王宮の間、ジャイガル要塞と云った見所がありインド観光では外せないスポットだと後にインド通の方から聞きました。ジャイプールは世界遺産の街でもあり、近郊にはアンベール城の他にも世界遺産がある観光地とのこと。
ジャイプールで宿泊したのはランバーグパレス*というホテル、元はマハラジャの邸宅だった由緒ある高級ホテルでした。(写真がないのでGoogleEarthで現在のランバーグパレスをスクリーンショットしてみました。↑)普通のビジネスマンが泊まるレベルのホテルではありませんが、取引先の方が予約して戴いたので、宮殿ホテル泊を体験してみました。!(^^)! インドには、旧王族の宮殿がホテルになったところも多いと聞きます。ウダイプールという街ではボートに乗船して湖上のフロントまでいくレークパレスホテル*にも泊まったことがあります。途上国では様子がわかりませんので、宿泊先は現地の方に手配をお願いした方が安全で確実ですが、なかなか泊まれない良い宿を予約して戴けありがたいです。!(^^)!(笑) と云っても、奢侈な宿に泊まる趣味や指向はまったくありません。 クリック*して戴ければどんなホテルかわかります。(当時の宿泊レートはもっと安かったですが、それでも日当ベースのサラリーマンとしては完全に破産。幸いにも宿泊費は実費精算出来ましたが・・・) 当時のインドはホテルを一歩出れば高温多湿、埃っぽいし、クリーンと云えないところが多くいい印象は残っていなかったです。世界遺産、旧跡名所を見たいという興味旺盛な方には魅力的ですが・・・仕事でなく観光旅行でいった印象はかなり異なったものになったかもしれませんね。ところでこの時は何しにいったんだろう?・・思い出しました、商談を兼ねてインド資本の工場を視察に行きました、たぶん。(笑) 記憶は風化していきます。
この頃は記憶も前後して曖昧、仕事の面では私にとって不毛の時期でもありました。ドイツから帰任して以降の1990年代は、私の仕事人生のなかでもっともネガティブな部分でした。取り扱いは消費者向け製品から産業用向けユニットに変わり、出張先もアジア・中東がメイン。とくに主力市場である香港は何度往復したか数えられません。良く云えばごく普通の売買取引を超越した?ビジネス、否定的に云えば閉塞感に覆われたルツボに陥るような世界、こんな仕事を続けていいのかな、辞めようかなとも思った時期もあり。長いサラリーマン人生をやっていればこんな時期もありますね。(笑) もう過ぎたこと、NO MORE。
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追: 本日3月25日 山梨へ山歩きに出かけましたが、帰路市川三郷町にある宝寿院に寄ってみました。
しだれ桜の名所で開花情報は満開でしたが、この程度でした。
この桜はちょうど満開。垂れていないし白っぽいので一見ソメイヨシノだと思いましたが、エドヒガンザクラでしょう。山にはもうヤマザクラも咲き始めていました。東京や山梨では来週がソメイヨシノの見頃になるでしょうね。
追:3月26日午前 ↑ 我が家のすぐ近くの公園、日当たりが良いソメイヨシノの開花は7分咲きくらい。サクラは何種類もありますが、やはりソメイヨシノですね。