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最近の円安とアルジェリアのテロ人質事件に思うこと [海外の旅&回想]

最近の日本が海外と関わる出来事に 今まで海外にたずさわってきた私としては様々な想いが交錯します。

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*197X中東・MUSCAT(オーマン)にて
まず最近の円安に思うこと。

ここにきてアベノミクスが発表され、円が反転し円安に。 株も上昇。
過剰評価された円が円安方向で是正されるのは基本的に歓迎である。
でも・・・そんなうまく、おいしいストーリーが成り立つのか? 
市場、国民は浮かれ気味だが、禁じ手の無制限の金融緩和節操のない財政出動でのバブリーな円安。   
数年後には崩壊スパイラルのシナリオが待ちうけているかもしれない。
日本政府が1千兆の借金を抱えているにもかかわらず円の信用度が高かったのは、国民の1千兆以上の金融資産のお陰なのである。 借金は増えていくが、金融資産は今後どんどん減少していく。 更にグローバルな視点でみると、円安で金融資産は15%目減りしている。 現在は輸入>輸出の状況であり、円安は輸入コストアップとなり円安のデメリットは一杯ある。 一概に円安円高を悪とする時代は終わった。 
過去散々円高に苦しんできた立場のものでも、このように安易な円安には訝しく感じるのである。

私が会社に入ってまもなく、スミソニアン体制(1ドル360円固定相場)が崩壊。 
主要先進国は変動相場制に移行。 これが波乱の幕開けでした。
それまでの$建てから円建て契約に変更すべく奔走した記憶があります。 メードインジャパンのブランドに対する評価は高く、日本のメーカー・商社は世界各地に販路を広げるために出かけました。 市場での日本製品への評価→売れる→為替圧力→円高→コストダウン+新製品→売れる→為替圧力→円高というある意味では 日本は不毛な循環に入りこんでいったように思います。

為替推移r.jpg


とくに1985年の238円から1988年には128円と常軌を逸したように急激に円高が進みました。 これでもか、これでもかという円高に、 「市場でこれだけの円高を価格に転嫁するのは無理。 競争力は衰退する、 もう輸出拡大も終わりだ。」 と絶望感がよぎったこともあります。 
ところがどっこい、生産サイドのガンバリは素晴らしかった。 「もっと売ってください、数量を売ってもらえるなら必ずコストダウンします、利益を出します。 まず注文を取ってください。」 そんな心強い言葉と心意気に、我々営業部員も海外のお客様に「私たちはモノを売っているわけでない、日本という品質、企業の価値を売っている。 お互いにこの苦境をシェアして販売を拡大しよう。」 と訴え 怒涛の如く、モーレツに売りました。 そして販路・流通の再開拓を行い、なんとか切り抜けました。 後退どころか更に拡大を続けました。 典型的な日本株式会社の一端でした。

とは云うものの、部品調達、一部製品の組み立ては徐々に中国に移転せざるを得ない状況でした。 コアの部分のメードインジャパンを守りつつも、日本の主要製造業の海外移転が進んだのもこの頃でした。
日本バッシングが進むなかでも、ヒット商品も続き、日本製品は売れ続けました。
1995年には100円を切り国内でのコストダウンも限界がみえ、雪崩をうったように生産の中国移転が本格化。 21世紀に入っても円高進行は止まらず、日本メーカーの勢いにも影を差す様になりました。 最大のライバルは円高であったかもしれません。

それでも、とにかく必死に売りまくりました。 こうして、現役から離れて回顧すると、
なんだかんだ云っても、結果が出た”いい時代”であったかもしれません。 


アルジェリアのテロ襲撃・人質事件に思うこと。

それぞれの地域固有の民族、宗教、文化、思想・体制が異なっていたところに、戦後の冷戦が終わり、グローバリゼーション自由主義経済の波が世界の隅々にまで及びました。
それまで隔離されていたところに異文明、異文化が交錯し、その過程で摩擦、混乱が生じるのは当然と思われます。 中東の紛争・テロ問題も、中国が抱えている問題も無縁ではありません。

私も若い頃、中東・アフリカによく出かけました。 当時はテロという問題は顕在化していませんでしたが、インフラ・治安が悪いという状況でした。 その頃はレバノンの内戦・第5次中東戦争が勃発、イラン革命、ハイジャック事件等もありました。 また、インフラも劣悪で、伝染病の流行も日常茶飯事でした。  その後も途上国地域を訪れる機会は度々ありました。
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*レプティス・マグナ遺跡(リビア)198X

近年でもパレスチナ、イラク戦争、パキスタン等の地域での紛争が続きました。  その度に、外務省から海外渡航危険・警戒情報が出されています。  各企業もその情報に基づいて判断・指示を出しているとはいうものの、渡航禁止が出されていなければ結局、判断は会社や部門、出かける本人の判断に委ねていたのが実態ではないでしょうか? 
私も渡航禁止でない限り、警戒情報が出た地域にも出かけたことが幾度かあります。
海外での危険に対する情報提供がなされ、危機管理会社の講習も受講し、それなりに警戒は怠らないようにしていたつもりでした。 

おそらく大半の方は、会社から恣意的に求められてではなく、自発的な使命感で赴かれたと思います。 そして、高度な危険の可能性に対しては注意を払っていたでしょうし、心の片隅に’一定の覚悟’があったと思います。 
同時に ’まさか自分は巻き込まれることはないだろう’と思っているのが本音ではないでしょうか?  私もそうでした。 潜在的に使命感が先行していたのは否めません。
アルジェリアに赴かれた日揮の社員の方も、アルジェリア軍の監視も安全警備会社の一定のガードもあり、同様な思いであったのではと察します。

犠牲になった方々には心より哀悼の意を表したいと思います。 

同じように海外に関わってきたものとして、その胸中は察するに余り・・・・・・・大変心が痛みます。
そして内地から見守ったご家族の方々のお気持ちは痛切だと思います。

過去何十年にもわたり日本は海外に製品・プラント輸出、技術供与を行うため世界各地に出かけ、エネルギー資源も十分ない狭い国土で多くの人口を抱える日本に仕事をつくり 外貨を獲得し、日本を支えてきたわけです。 また、近年は海外からの資源、製品の輸入に依存せざるを得ず、今まで以上に海外と向き合わなければならない日本なのです。  ・・・ 誰かがやらなければならないのも事実。

そして、人命は何事にも代えがたい。 
   
・・・・・・・・・・・ こういった相克が世の常と定めなのだろう。




たまたま、航空会社の残存マイレージのチェックしていたら、 生涯マイル(フライト記録)なるページがあるのに気がつきました。!

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改めて自分でもビックリ。[がく~(落胆した顔)] 1992年にマイレージメンバーになってからの登録されたJAL便のフライトナンバー、搭乗区間、実際のフライトマイルが降順でリスト化されていました。 特典航空券のマイルは含まれていません。 更に未確認マイルが280,351が記載されてあり合計1,025,011マイル。←JAL便だけで、ちゃんと登録してくれればワンミリオンマイラーです。  この間日系のANA便も最低1/3は利用させていただいた。→調べたらANAも生涯マイルがありました。 2003年からの登録分272,106マイル(ANAはスターアライアンス加盟航空会社の分も含まれる)。 JAL+ANAで 1、297、261マイル。 外国航空会社の搭乗分も相当あります。 1992年以前の搭乗分はカウントされてない。 これらをすべて含めたら・・・おそらく地球100周くらいになりそうです。 悲しいことにほとんどが仕事です。[ふらふら]

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世界と向き合った日本人、 私もそのなかのひとりの端くれであったのかも・・・・・ 

ふり返ると幻のごとし ・・・・・ 砂漠の中の蜃気楼。

***これは私の独り言なので、しばらくはコメントは閉じさせていただきます。 ご容赦を ***
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